日本とタイ、ASEANの“食”を中心とした相互交流をカタチに。

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■note転載■ なぜヤムヤムをやることにしたのか? その1〜タイとの出会い

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初note。書いてみるまでは何だか腰も重かったです。
アカウントだけ作ってしばらく放置したり、目先の仕事で手が回らなくなったりで、また後でいいか…と後回しにしたり。

でも、いざ書いてみたら、以前イベントにご参加いただいた支援者の方から数年ぶりに連絡をいただいて、食の関係者の食事会に誘っていただいたり、もちろん応援するよ!と友人から気持ちのあるあったかいDMもらったりと、反響があったのは嬉しかったです。ありがとうございます!

 

初回はダイジェスト版的な感じで、『日タイをタイ料理をフィルターにして新たに食でつなぐ活動』の概要説明と、この10年間のあゆみ、これからの展開を、駆け足で書き連ねてみました。

取材記事や掲載リンクをかなり貼っちゃったので、全部読むとそれなりにボリューミーだと思いますが、自分の説明よりは断然わかりやすいと思うので、よかったらぜひ最初から読んで欲しいです。

 

●タイとの出会い

 

さて、初めてお会いする方に、毎回必ず聞かれることがあります。

 

「何でタイなんですか?」
「なんでこういう活動を始めようと思ったんですか?」

「きっかけは何?」

 

ですよね。
商談でも何でもなぜ?から説明すると、必ず興味を持ってもらえますし、タイへ行ったことがある方も多い。
このあたりの発端を、思い出しながら順番に振り返ってみたいと思います。

 

物事にはかならず理由があると思っています。
エリート街道まっしぐら、順風満帆の人生では全くないので、どちらかと言うと自分の直感や感性で自分の道を創ってきたと思っています。
その中で、不思議な巡り合わせからはじまったタイとの結びつき。

 

転職も8〜9回はしてます。
アルバイト掛け持ちから、社員10名未満の会社〜上場ベンチャーなど、安定の大手じゃなくて、新規事業ゼロイチの仕事がほとんどでした。決して楽な一本道ではなかったですが、思い起こせば今までの曲がりくねった道のりは振り返れば全てが今の活動に繋がっていました。

好きこそものの上手なれといいますが、まあ、一言で言うとタイが大好きなので活動を続けている大きな原動力の一つになっている。それは間違いなく自信を持って言えますね。

 

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帰国した時のテンションで製作した旅のスクラップ帳

 

1999年、27歳の春。
当時勤務していた広尾のインテリアデザイン事務所を転職のために退職、何気ない思いつきからタイへ一人旅に出ることにしました。

 

深夜帰宅や休日出勤は当たり前、そんな不規則な生活環境から解放され、次の勤務先(まだ面接中や返事待ちであったりと、進路ははっきり決まってはいなかった)が決まるまでのフワフワした中途半端な時期で、海外でも旅して気分転換をしてみるか!という、ごく単純な動機からのタイ行きでした。

 

桑沢デザイン研究所でインテリアデザインを学んだから、世界遺産の建築物とかにも興味があったし、日本とはちがう文化圏でなおかつお金のない若者にはタイがしっくり来たんですよね。当時は。

 

確かにこんなCMも見ていたりしたし、若者はタイへいくもんだ!みたいな流れがすでに醸成されていて、そこに自然に引き寄せられたんだと思います。

 

 

当時は某お笑い芸人のヒッチハイク世界一周など、世の中はバックパッカーがにわかにブームになっていた時代でもありました。
世知辛い今と違い、まだまだ自由で楽観的な空気が、世の中にまだ少しは残っていました。

 

時間はあってもお金がない(笑)絶賛転職活動中の身分にとっては、とりあえずタイに行くという選択には疑問も何も無く、気づいたらH.I.S.渋谷のカウンターにいました。

 

●3月29日、一週間のバンコク旅行が決まる。

 

日本の春先は、タイではまさに暑期
もっともタイらしい南国リゾートの風景が目に浮かびます。
そして旅行に適したベストシーズン。
学生の春休みとも重なるため、旅行業界にとっては大事な稼ぎ時です。

 

行く!と決めたからにはすぐ発ちたいのに、肝心のチケットがなかなかとれない。航空チケットは、格安のビーマンバングラデシュ航空に狙いを定めていました。金曜成田発の翌週金曜帰国の週1便運行。
当時、3.2万円でした。

このビーマンが噂に違わぬ飛行機でした。
フライトは何時間も普通に遅れるし、離陸した時に非常灯落っこちるし(平然とCAが拾い上げて元の位置に押し込んだ!)、リクライニングが勝手に倒れてしまって、常時倒れたまんま。

 

いつでも予約が取れる時でかまいませんよ!と伝えていたH.I.S.の担当者から、ようやく連絡があったのは数週間後の3月29日。

 

4/9〜16のバンコクの旅1週間
いそいそとパッキングを済ませ、定番の地球の歩き方をバックパックに詰め込んで、ようやく待ちわびたバンコクの地へ降り立ちました。

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実際はもっと暗かったドンムアン空港の入国カウンター

●初めての東南アジア、天使の都バンコク

飛行機を降りる前から、モワ~ンと全身にまとわりついてくる生暖かい熱気、立っているだけでもボタボタと額から流れ出す大粒の汗。
薄暗いドンムアン国際空港のちょっと怪しげな感じ。
漂ってくる香辛料とジャスミンが混じったような独特の香り。
入国して来る外国人を待ち構える、出口通路の両サイドに鈴なりになった人垣、そして日焼けした黒い顔に光る、ギラギラした現地の人達の射すような目線…。

 

緊張感ワクワク感で感情が入り交じり、ピリピリ、ドキドキしました。

 

タイ、すごいな!人や街に生気が満ちあふれている。
日本とは全く違う世界に驚きながらも、明日からどこに行こう?と、バンコク市内に向かうちょっとエアコンが効き過ぎたエアポートバスの車窓から流れる、街並みや人々の暮らしを眺めながらボーっと考えていました。

 

しかし、ん~、、何だろう?

 

行きの機内や着いてからの雰囲気、どこか街全体が浮き足立っているような?

 

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チェンマイのお堀に飛び込んでガタガタ震えてクイティアオをすすった

 

気になって周囲に聞き回ってみると、初めてのタイに降り立ったこの日は、なんと年に一度の大きなイベント、ソンクラン(水かけ祭り)というお祭りの前日なのでした。

 

ここから全てがはじまったのです。

その2へ続きます。

 

☆補足
写真がピンボケしてるのは、ソンクランで持参のカメラが浸水してしまい、現像したら全部ピンボケだったという顛末の結果です。。涙